Stop Being Salty

勉強の記録

2022/8/6(土)

懐かしの飯田橋へ行き、用事を済ませてきた。懐かしのカレー屋とブックファーストとつけ麵屋が無くなっていた。

白石一文『君がいないと小説は書けない』(新潮文庫、2022年)を読んだ。ひさしぶりの長編小説で、読み終わるのがもったいないと思わせる小説だった。本作は自伝的小説であり、ストーリーそのものが動き出すのは後半2/3くらいに入ってからで、それまでは著者なりの回想と思索が続く。「まくらのほうが本題より長く、そして同じくらい面白い」というユーモアがあると思う。なぜ私は読書が好きなのかを再認識させられた小説だった。

  • 小学生の頃の私は、たいそうな読書家で2日に3冊くらいのペースで読んでいた。読む本の登場人物は中高生が描かれていることが多く、本を読む理由のひとつは自分の知らない世界を疑似体験できることにあった。かつてほどのペースでは読めなくなった高校生の頃に「もう自分が読んできた本の登場人物の年齢を追い越してしまった」ということに気付き、その年齢に追いつけた嬉しさと、同時に彼らの世界から遠ざかってしまった寂しさとを感じたことがある。

  • それ以降は読む小説のほとんどが、実年齢より上であってもほぼ同世代の目線で読めるものばかりだった。そうした小説には、小学生の頃に感じていたような、未知の世界を教えてくれるという楽しさはない。しかし、既知の世界にたいして、より厳密な言語化を可能にしてくれるという楽しさがあった。小説は、日常の一断面を切り取ったり、時には極限的な状況を用意したりする。それを読むことで私は、日常で感じたことがある些細で曖昧な感情や思考を増幅させ、追体験し、理解し直すことを楽しんでいた。

  • 未知の世界を疑似体験するという楽しさと、既知の世界を言語化していくという楽しさの両方を、この『君がいないと小説は書けない』からは得ることができた。本書は、著者の自伝的小説ゆえに語り手が60歳を超えた小説家であり、その視点から死や、人生における時間や、他者との関係性などについての思索が展開される。人生の後半戦は私にとって未知の世界であると同時に、人付き合い、身近な人の死、理想の追い方など著者が思索を展開する事柄には何らかの形で私も直面したことがある。